僕は思うのだけれど、おなじものをたべるというのは意味のあることだ。
どんなに身体を重ねても別の人格であることは変えられない二人の人間が、日々、それでもおなじものを身体に収めるということは。
犬とハモニカ : 江國 香織 (via mmgen)
(natsumegu-17から)
さびしさなんてどうせちょっとうれしいことがあれば蒸発してしまう揮発性の感情で、それをわざわざ恨みとか自己嫌悪なんかのめんどくさいものに加工する必要はない。
今でもときどきさびしさの波のようなものは訪れるけど、別におそれるようなものではなくて、そういうときもあるわね、というぐらいで、おおむね楽しくやれています。
なりたかった状態に自分を持っていけたことは、うれしかったし、安心した。
それで今になって思うのは、かつてさびしさに無縁で幸福そうに見えたあの人たちにも、きっとさびしさの波は訪れていたのだろうということです。
決して、わたしだけがさびしかったわけではないのだと。
ただ、彼らはさびしさを正しく運用していただけなんだ。
それだけのことなんだ。
大人なんてさびしくて当たり前で、でもそれはただ優しさを指向する力で、だれのせいでもなくて、みじめに感じることもなくて、その力にさからわずに、惹かれるままに、自分のさがしているものを見つければいい。
会いたい人には会いたいといって、いきたいところには素直にとびこんで、泣きたいときには思いっきり泣いて、さびしさでいろんなものとつながっていけばいい。
わたしはこれからもきっとさびしい。
でもそれでいい。
(via xomorickyxo)
(元記事: d.hatena.ne.jp (huckleberryfieldsforeverから))
ツイッターのお友だちが教えてくれた、中島らもさんの言葉「どんなにダメな状況でも“その日の神様”がいる」っていうのを、毎日おもいだしている。ラジオから偶然かかるすきな曲、おもわず写真を撮りたくなる夕焼け、うちに帰ったらオクラのお味噌汁ができていたこと。きょうの神様、ありがとう
https://twitter.com/amazakeiko/status/907954700581879808
(via nanashino)
なくなりそうな世界のことばという本を読んでいて、「ヒライス」という言葉がウェールズ語で「もう帰れない場所へ帰りたいと思う気持ち」と知って、あまりのエモさに泣きかけた
原稿中のしろあき✴︎245さんのツイート (via hutaba)
(元記事: twitter.com (kamisamasinndaから))
思いやりのない人を見たときには、「この人は生まれ変わりの回数がすくないんだろうな。前世はきっと灰皿か何かだったんだろうな」と思えばいいわけ。
人生ノート/美輪明宏 (via pan-no-mimi)
(元記事: folaf1987 (huckleberryfieldsforeverから))
まだ27歳になっていない人には必ず勧めているのですが、27歳と4ヶ月と16日目というのは生まれて 10000日目なのです!桁が上がる最後の歳ですし、1.10.100.1000日は3歳までで通過します。10000日は盛大に祝ってみてはいかがですか?
Twitter / 古澤 慎之介 (via sho235711) (via sierra7) (via theemitter) (via makototz) (via gutarin) (via an-k) (via niwa-re) (via reretlet) (via scudroid) (via sdhrk) (via hawelka) (via mako-28) (via uessai-text) (via f031461a) (via blacktights)
2010-04-29
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(via kamisamasinnda)




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